パーティー前だけど少し独り言を書かせてもらいます。
先週水曜日に俺の母がたのじいちゃんがガンで他界してしまいました。
享年87歳。
とにかく最後まで元気で頑固なじいちゃんだった。
もともと、九州の炭坑夫で九州男児なひとでした。
前のばあちゃんは俺が生まれてすぐにガンでなくなっちゃったから俺には思い出があんま無いんだけど、俺が物心ついた時には今のばあちゃんがすでにばあちゃんとしていた。
つまり孫の代までいる家族持ちの二人が再婚してあんまり例を見ない家庭になってた。
でも俺にとっては二人とも俺のばあちゃん。
今のばあちゃんは不二家で働いてたから、クリームソーダをいっつも作ってくれた。
そのクリームソーダが毎回楽しみで待ってると、じいちゃんはいつもの席で酒飲んでるって思い出が多い。
ちっちゃかった時おかんによく怒られて家飛び出て、行く先はいつもじいちゃん家だった。
夜遅くいきなり来る俺にビックリしつつもいつも入りなさいって行ってくれた。
おかんに来たって電話しないでって頼むと、分かったっつってとりあえず寝かしつけてくれた。朝が来るとおかんが迎えに来てくれるパターン。
その思い出が一番残ってる。
んで、じいちゃんの葬式のとき、この再婚によって双方の家族でいろんな事があったってはじめて知った。それは今でも尾を引いてる感じみたい。
小さい時から俺にとっては正真正銘のじいちゃんばあちゃん。
ばあちゃんが血がつながってないって知ったときも別に他人なんだなんて思わなかった。
でも、俺ら以外はばあちゃんをずっと家族って認めてなかったみたい。なんだかそれがショックでさ。
大人の事情があったんだなって思って。。。
でもさ、大人になった今、あらためて考えてみたんだけど、やっぱりみんな家族。
約30年前のじいちゃんがした普通じゃあり得ないこの決断。
いま俺がこう思えるのも、本当に腹くくって決断して家族って絆を守り続けてくれたからなんだと思う。
じいちゃんが死ぬまでこの家族の絆を守って来てくれた。
当たり前、普通、世間体って生きてる間ずーっとついてまわるけど、この家族で俺は肩身の狭い思いをした事も無いし、ここから抜け出してやろうとも思わない。
普通じゃない事するにはいろんなストレスや障害が伴うけど、それをいい方向に変えて乗り越えて、家族や近い人達に幸せを与えつづけられる、そんなじいちゃんみたいな行動が最後までできる男になりたいって思った。
もちろん、じいちゃんがいなくなってさみしいけど、じいちゃんはそんな強い心を俺に形見としておいてってくれました。
ありがとうじいちゃん。
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